Helix by Shimpei Yamagami vol.2
写真家の山上新平さんの初めての写真集「Helix」は、サイトヲヒデユキさんのアートディレクションにより、皆川 明の出版でかたちになりました。
2022年の夏に出版されたこの写真集について、出版当初に行われた山上さん、サイトヲさん、皆川の鼎談をもとに、改めて3人からの言葉をテキストにしました。
それぞれの想いを感じていただければ幸いです。
皆川:
山上さんとの出会いは、もともとはアートディレクターの葛西 薫さんが山上さんの写真をご覧になって、葛西さんが「山上さんの写真を見てほしい」と写真家の上田義彦さんに伝えられた。そして上田さんから、僕にご紹介いただいて... そんな風に、人と人との縁が繫がってのものでした。
初めて山上さんにお会いして、作品を見せていただいた時、写真とご本人の重なり方と、山上さんが日々、ご自身の周りにある日常的な景色を切り取っているという事に惹かれました。
山上さんの写真が持つ、神秘的な陰影と、黒白の濃淡の精緻な姿。それと日常的という事が、すぐには繫がりませんでした。でも、山上さんのお話を聞いていくうちに、ああ、なるほどと合点がいって、これはきっと、書籍にしたら素晴らしいものになるだろう、と感じました。
その書籍のアートディレクションと装幀を、サイトヲさんにお願いしました。


山上:
今、皆川さんのお話にあったように、今回は、1つ1つの縁... 点と点とが繫がって、この写真集ができたことが、僕にとって大切なことだと思っています。
何かこう、必然的な出会いの中で、一冊の写真集が生まれたという感覚が強くあります。写真をやっていると、偶然を信じない、というか、あと少し何かが違ったらこの人たちと出会っていなかったんだろうな、という想いがあって。必然的なものって、一見しただけでは、バラバラに生まれてくるようだけれど、何かが生まれてくる時というのは、後からちゃんと点と点とが繫がってくる気がしています。今回もそういう意味では、生まれるべくして生まれてきたんだな、という想いでいます。
皆川:
サイトヲさんは、この写真を初めてご覧になったとき、どのようなご感想でしたか?
サイトヲ:
「ただならない写真」と最初に見たときに思いました。山上さんは、本当にすみずみまで見て写真を撮っているな、というのを感じて。この深みのある微細な描写をどう本にしていこうか、という緊張感がありました。


皆川:
山上さんが写真を撮られる気持ちと同じく、本と向き合う時間が、けっこう必要だったんですね。
サイトヲ:
そうですね。山上さんはかなりの時間をかけて写真と向き合っているんだろうな、という事は感じましたし、その深度に対して、僕がどういう気持ちで向き合ったらいいか、というところから考えていました。
皆川:
今回はかなりの量の写真がありましたし、そのタイトルが「螺旋」という事で、特別な本の装丁を... これは何という名前の装丁方法でしたっけ?
サイトヲ:
2つのシリーズを選んで1つの本にまとめたんですけれど、本来でしたら2冊作るところを、「螺旋」という意味合いに合わせて裏表紙を共有することで、S字のように2冊を1冊にして、回転させながら見られるようにしたんです。この製本に、特定の名前はないんですけれど、せっかくなので、僕は「Helix製本」という名前にしました。
皆川:
そうか、サイトヲさんがつけた名前だったんですね!(笑)
サイトヲ:
名づけました(笑)。最初は、山上さんが今までに撮ってこられた8つのシリーズを見せてもらって、その全部に表紙をつくったんです。それを山上さんに見せた上で、僕はこの2つのシリーズを本にしたい、と伝えました。
その2つの作品には、別々のタイトルがついていたのですが(『SPECTRUM』と『The Disintegration Loops』)、1つにまとめるときに、何か名前をつけたいと思って、先ほど山上さんがおっしゃっていた、人との繫がりとか、繫がってゆく事とか、写真の、生命の誕生から崩壊までを繰り返す感じとか、それらを示す言葉が欲しいなという事で、僕から「永劫回帰」という言葉を投げかけました。
皆川:
未来永劫の「永劫」。
サイトヲ:
そうです。ニーチェの唱えた生を肯定した概念で、全部崩壊しても何か違う最初に戻るようなイメージを言葉にしたいと思いました。それで、山上さんから戻ってきた言葉が「Helix」だったんです。Helixには「螺旋」という意味があると聞いて。
螺旋は上から見ると同じ場所に戻って、横から見ると同じ場所には戻らないイメージがあって。本は、見るとき表紙を開いて、見終えたら閉じて、同じ場所に返すのですが、今回の作品集は、違う場所に行ける、っていうようなイメージの物を作りたいと思い、モノクロのシリーズから始まって、次にカラーのシリーズを見て、その次に最初のモノクロに戻ったときに、違う画(え)が拡がって見えてくるんじゃないかな、と想像しました。
皆川:
山上さんはこの写真集に対して、「Helix」というタイトルには、どういう想いをお持ちですか?
山上:
1つは、皆川さん、サイトヲさんがおっしゃったように、この写真集は、写真を間に人と人が繋がる中で生まれてきた、という経緯がありました。
もう1つは、僕は今まで足元にある被写体を眼差しを変えながら写真にしてきました。何かが見え出すと次の見えない何かがやってきて、写真から新たな問いというか声が聞こえてくる。それをまた次の新作で明らかにしていく。そういう足元を固めながら、次のフェーズを展開させて写真にしてきたので、全部の写真が繋がっているんです。
この二つの「繋がり」というキーワードに、サイトヲさんの永劫回帰というヒントから「螺旋」という言葉が生まれ「Helix」というタイトルをつけました。
さらに個人的な想いとして、写真集が一人歩きして受け手の方々にさらに螺旋が伸びて繋がってくれたらとの願いも込めています。
皆川:
「Helix」という言葉は、同じく螺旋を意味する「spiral」とは、ちょっと違いますよね?
山上:
そうですね。「spiral」は、どっちかっていうと、こう... 広める、というか、蚊取り線香のように水平軸で面積を広めるというイメージがあって。でも「Helix」は、横軸の面積の広まりではなく、DNAの構造のように縦軸での密度の詰め方だと思うんです。足元の地点は変わらずに、眼差しの密度のあり方で写真をつくってきたという感覚が僕にはあるので、水平軸の螺旋ではなく縦軸の螺旋、という意味合いで「Helix」とタイトルをつけました。

皆川:
大きく伸ばした写真作品の1つ1つを見ても、本当に微細なところまで、目というか、心が届いています。
大きくした事で、さらに見えてきたものがあるなあ、と思うんですけれども。そして、風景って、木とか、草とか、実存しているもの以上に、光とか影とか、陰影の存在がなんて大きいのだろう、という事を、あらためて山上さんの写真を見て感じました。
山上さんが見ている風景とは日常的なものですけれど、それを写真に撮る瞬間、といいますか、場というのは、どのような共鳴のもとに行なわれるものなのですか?
山上:
すごく感覚的な話なのですが... 音がなくなる部分があって、そこにはやんわりとした何かがあって、そこを見始めると、像が立ち現れてくることが多くあります。
思考している状態、頭が働いている状態というよりは、心の振幅がフッとなくなる瞬間にシャッターを切ることが多いかな、と思います。
皆川:
それは、現実的な音というよりも、山上さんがその場所やものと向き合って、それだけの関係になると、音がなくなる、という感覚でしょうか?
山上:
そうですね。内的な音です。また、共鳴というのは撮るべきものと同化しているわけではないと感じます。
皆川:
はい。
山上:
同化ではなく対の関係の中で、何かその場に委ねているというか、その場にいることを許されているような。音がなくなる感覚とは、そんな自分のマインドになるとき、に近いのかもしれないですね。
サイトヲ:
その感じは、すごくわかります。音がなくなる瞬間は、わかるなって気がしました。本をつくるときも、そんな感覚になるときがあります。
皆川:
今のお話を伺うと、サイトヲさんの、今回の本のデザインからも、同じことを感じますね。
サイトヲ:
そうですね。山上さんの見つめた時間の共有はできないですけど、本をつくるとき、僕も同じくらい見ている気がして。
僕はロジックよりも感覚を大事にしてレイアウトしていくんですけど、あ、今回はレイアウトといっても同じ場所にずっと写真を置いていくんですけれども、それってなんとなく、音をなくそうというか、自我をなくそうというか、そんな気持ちで同じ位置に配置しているところがあります。山上さんが同じ場所に立って、音をなくすっていう話を今聞いて、なんだか、腑に落ちたような気がします。
皆川:
印刷も、京都の印刷所にお二人で行って、一緒に立ち合いながら、今回はかなり特殊な製本を、細部まで作り込んでいかれた感じですよね。山上さんの写真の、この陰影を、しっかりと印刷で表現するというのは、かなり精緻な仕事が求められたのかな、と思うのですが。
サイトヲ:
写真集は、本来はツルツルの表面の紙を使う事で、写像に忠実な絵を浮かび上げていくものですけど、今回は五感を刺激するために印刷の出づらいラフな紙を使いながら、微細な写像への強度を、印刷で表現したかったので、そこが勝負だと思っていました。
モノクロ印刷の深みを出せる京都のサンエムカラーさんにお願いして、印刷の立ち合いも絶対に山上さんと一緒に見たいなっていうのもあって、京都まで来てもらったんですけれど、そのときも、印刷物を見る山上さんは、周りのものが目に入らないように視界を遮ぎるようにして、集中して色を見るんですね。印刷所にいても、山上さんが写真を撮影したその場所に自分もいたような感覚になって、一緒に立ち会えてよかったなと思いました。
皆川:
山上さんは、作品を書籍にしたのは、今回が初めてですか?
山上:
そうですね。初めてです。
皆川:
写真を撮るという事と、書籍をつくるという事とは、似ている部分もあるかもしれないけれど、ずいぶん違う事もありましたか?
山上:
かなり違いましたね。僕は、写真集とか、本が、もともと好きなのですが、思っていたより何倍も、かなり違う感覚が必要なんだなと思いました。
皆川:
実際に、本の印刷が最初に上がってきたときには、普段見ている写真とは違ってくると思うのですが、そのときの完成度としては、山上さんの気持ちの中では収まりはよかったですか?
山上:
自分が思っていた以上に、印刷がよかったです自分にとって写真の強度というのは、決して大きなものではなくて、すごく小さいものの積み重ねだったりします。印刷の質とか、黒のトーンとか、小さな積み重ねで見応えのある写真集になったのかなと思っています。
皆川:
本も素晴らしいですし、大きく引き伸ばして額装した写真作品もまた、多くの方にご覧いただきたいです。同じ写真も、本と額装とでは、違う質感や違う印象を受けるところにも驚きがあります。
本が出来上がる前に、最初に我々が見せてもらった写真の大きさはA4でしたよね。今回の額装作品のサイズ(A1変形)で見ると、肉眼で風景を見ているのと近い距離感になってきて、A4の世界の中で見えていたものとはまた違って、吸い込まれていくような気がしました。枝だけが見えているものもあれば、雪が残って見えているものもあって、季節にもけっこう幅がありますよね。
山上:
そうですね。年数でいえば2年くらいのシリーズです。

皆川:
気がつかないような移り変わりが、写真に残っているというか。また、季節や四季でもなく、四季の間が細かく分割されて、ある瞬間の風景を切り取った世界があって、いろんな事が微細に存在している、という感覚があります。この写真を、一生の間に、ずーっと、繰り返し眺めていても、きっと毎回、その度に違う事に気づくんじゃないかと思います。
あらためて、葛西薫さんや、上田義彦さんが、山上さんの作品を見て感じた感情みたいなものが、僕のところまで繫がれてきた理由がわかる... わかるというか... うまく言えないのですが、波動で人が繫がっていくような不思議な感覚がしました。
山上さんは、今も風景を撮られているのですか?
山上:
最近では人ですとか色々です。もう少し生活の匂いがあるような日常の中で撮っています。今までの木々を見る眼差しは、ある程度、行き着くところまでは行き着いたのかな、という感覚があります。そうなると心は安定しがちだけれど、写真においてはとても危険だなと思ってまた1から新しいことに挑んでいます。
皆川:
山上さんが今回の本を出す事で、写真家として歩み始めるきっかけになって、10年、20年、30年後に、この作品を振り返ったとき、その時点での山上さんとの対比が、また感じられるんじゃないかな、と思っています。
次の作品も本当に楽しみなのですが、山上さんという写真家に、2年前にお会いできた事で、僕は写真の見方が変わりました。主語がある事だけに意味があるわけではなくて、何か、存在という事を、もっと広く捉えられると、世の中の見え方とか、ものごとの在り様が違って見えてくるんじゃないかなという事に、気づかされました。
サイトヲさんのようなデザイナーや、山上さんのような写真家と、同世代で生きているという事は、本当にありがたいなと思っています。いつか、後から振り返ってその人の全作品を見るという事はできないのですが、その時にしか感じられないリアルな振動みたいなものを感じられます。
これからの時代、きっとまた、こういう繫がりというか、コネクトしていくという事は、たくさんあると思うんです。その中で、写真家としての山上さんに、サイトヲさんの仕事によって、また違う状況が生まれたりする事が、これから新しい時を経る中で大事なのではないかと考えています。そんな事を、これからもご一緒できたら嬉しいです。
サイトヲ:
本が出来上がって、1か月くらい経つと、少し客観的な感じで、その本を見られるようになるんです。撮影時に、山上さんが風景と対峙した時間は、僕たちに直接はわからないんですけれど、こうして本になって客観的に見ると、本を見る人たちの頁をめくる時間とその山上さんが見た時間を繫げられた気がします。ゆっくりと眺めてもらえたらいいなと思います。
山上:
僕が写真家を志して、15年ほど経ちますが、色んな方々の想いの上で、僕は写真家としてここにいるんだな、という想いが、年々、強くなっています。いつも被写体や他者に対しての想いがあったからこそ、ここまで歩んでこれたと痛感しています。今回、写真集のクレジットには写真のきっかけをくれた今は亡き二人の祖母の名前をお願いして入れてもらいました。これも、生前には応えられなかった想いに恩返ししたかったからでした。これからも、想いの中で写真を続けていくだけだと感じています。
photograph: Shimpei Yamagami, Ryo Yahara( eläväでの展示風景 )
山上新平
写真家。神奈川県鎌倉市生まれ。写真集に『Helix』(2022年)『liminal (eyes) YAMAGAMI』 (2023年)がある。
サイトヲヒデユキ
装幀・造本設計・グラフィックデザインに携わり東京と沖縄を拠点に活動。
東京・高円寺にあるデザイン事務所併設のギャラリー『書肆サイコロ』主宰。デザイン・写真・美術・言葉に纏わる本や印刷物などを制作し展覧会を開催している。minä perhonenや皆川明との仕事では、本『ripples』、『Letter』、『Hello!! Work』、『voice of wear』他、シーズンブックやinvitation、eläväのポスターなどの装幀・アートディレクション・デザインを手がている。